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写真家・尾崎大輔のblog


by daisukeozaki
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悪の規定

仏教本を読みあさっているおり、天台思想と華厳思想で気になる部分がある。天台は性具説、華厳は性起説をとっており、仏の中に悪は存在するのかという点で天台は存在するという立場で逆に華厳は存在しないという立場をとる。天台思想は最澄から始まり日本の仏教の基盤となる思想であるが、その中で悪の存在を認めているところに私は興味を引かれる。もちろんペシミスティックになってしまう危険もある。
宗派などで仏教はかなり違ってくるが(釈迦の原始仏教と鎌倉時代の仏教ではかなり異なっている。)、天台も華厳も違いはあるが、釈迦はこのようにいっていましたという経典がそれぞれ存在し、そのすべてを受け入れる仏教の寛容性は評価すべき点である。キリストの教えですと聖書がいくつもあるようなものだ。

ここで、キリスト教において悪の存在規定が、現代まで論理的に説明されていないような気がする。善なる絶対者である神がなぜ悪をつくったのか?アウグスチヌスも悪は善の欠如であるとしか規定出来ない状態であり、ライプニッツの悪は善への不可欠条件という説から派生し、シェリングは神は単に一つの存在ではなく、一つの生命であるという説において神もまた悪と関係すると説く。ただし、実存の根底である限りはと限定をつけている。

最後の審判において悪を性質をもたない神が悪人を裁けるのであろうか?

絶対者がいる考えとそうでない考えによってかなり違いは出てしまうのは仕方のないことではあるが。
by daisukeozaki | 2010-07-25 21:01 | Comments(0)