写真家・尾崎大輔のblog


by daisukeozaki
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新作について

宮台真司の本を読んでいて、安倍公房の「砂の女」の私論が目に留まる。
そこで端的に言えば「砂の女」の男の主人公が環境によって人間が変わっていく視点(特にラストシーンであろう)を評価していた。

そこで私はふとエリ・ヴィーゼルの「夜」を思い出した。ホロコーストを自伝的に書いた本だが、有名なのはフランクルの「夜と霧」のほうであろう。
その本の中で印象に残った箇所を挙げる。

収容所に収容され、絞首刑台で誰が殺されても誰一人涙を見せない中で、ある日、不幸な天使のような顔をした少年が絞首刑にさせられる。同時に他に大人2人が絞首刑にあうが大人が即死である一方で、子供で体重が軽いために、その天使は30分あまり臨終の苦しみをつづけなければいけなかった。そして、主人公達全員がその光景を直視するように強制される。主人公の後ろの男が
「いったい、神はどこにおられるのだ?」
小声でささやく。主人公は小声で囁き返す、
「どこだって。ここにおられる―ここに、この絞首台に吊るされておれる・・・・。」
献身な信仰をもっていた主人公はここで神を捨てる。

その後も、様々な言葉では表すことのできないような環境を耐え、父親を支えながらともに生き残っていくのだが、最後の最後で父親が死んでしまう。

『私は涙が出なかった。そして涙を流すことができないのが、わたしにはつらかった。しかし、わたしにはもう涙がなかったのである。そのうえ、もし自分のひ弱い良心の奥深い所を掘り返したならば、おそらく私自身の奥底に、なにかこう呼べるようなものが見いだされたことであろう。—とうとう自由になった!・・・(「夜」 エリ・ヴィーゼル 本文より)』
彼は最後に自分の心の中の‘シャドウ’を見てしまう。

宮台真司の安倍公房の評論からかなり離れてしまったが、エリ・ヴィーゼルにもあるように環境によって人間の奥深くに隠れている何かが表象されるではなかろうか?それは普段私達がもってはいるが、隠れてみえないだけではなかろうか?それによって私達はどこまで違う人間へと変わっていくのだろうか?あるいはそれが人間の本来の姿なのであろうか?

次回作は小説で言うと個人的に短編小説のようになるが、人間の欲望や煩悩を反映される。いつ発表できることやら・・・。
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by daisukeozaki | 2010-08-31 20:19 | Comments(0)

月曜日のアクセス数

月曜日または休日明けのブログのアクセス数が他の日に比べて異様に多い。
しかも、日中。

ということは、会社に行って、一週間の仕事始めに僕のブログをチェックしてくれている人が多いということ。
こんなしょうもないブログでモチベーションがあがってもらえれば何よりですが。

月曜日にブログをチェックしているあなた。今週も残暑はまだ厳しそうですが、お互い頑張りましょう。
今週は僕も休みが8日までまともにないので忙しいっす。貧乏暇なしっす。
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by daisukeozaki | 2010-08-29 22:33 | Comments(0)

漫画の児童ポルノ規制

都の条例改正問題で漫画の児童ポルノの禁止がささやかれている。
子どもを守るという観点からは多いに賛成だが、この改正には首をひねりたくなる箇所が多数ある。

その中で一番にくるのは、「東京都青少年の健全な育成に関する条例」において改正をやるべきことなのかどうかということ。被害者として少女を守るために改正をやるのはわかるが、この条例において改正をする場合、青少年を健全に育成するために、漫画の児童ポルノを禁止するのはあまりにもお粗末すぎる。
漫画の児童ポルノが青少年の大きな影響を与えるならば、テレビ等で毎日流れる殺人事件のニュースの方がよっぽど影響があると思う。
どらえもんのしずかちゃんの入浴シーンは大丈夫かどうか等、鼻で笑ってしまう。

私の持っているJH Emgstromの写真集も明らかに誰かによって性器の部分が修正ペンで白く隠されている。サリーマンは今のところ大丈夫らしい。
写真の表現で性に対して厳しい反面、グラビア写真集が写真家の写真集の何倍も売れ、次々に出版される。

以前にBBCのドキュメンタリーで女子高生がパンツをおじさんに売っている番組を見たが、本当にある意味非常に興味深い性に対する文化をもつ国である。
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by daisukeozaki | 2010-08-27 21:11 | Comments(0)

新しいとは

新しいとは僕は絶対的な賛同と絶対的な否定のどちらかに意見が分かれるものだと思う。
例えば、舞台でお客の半分は途中退席したが、残りの半分は舞台が終わっても感動で席から立てないような状況。

知り合いの元天井桟敷の方が寺山修司とロバート・ウィルソンの舞台を初めて見た時に、「新しいものとはなんだかわかるか」と寺山に言われた。寺山は自身で
「絶対的な賛同と絶対的な否定、それとわからないというもんだ。」
と言ったらしい。
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by daisukeozaki | 2010-08-24 17:45 | Comments(0)

ジャン・コクトー

ジャン・コクトーは「恐るべき子どもたち」がもちろん有名だが、エッセイというか評論集の「僕自身あるいは困難な存在」の方が私は好きだ。

特に、コクトー自身、魔術師といわれたいという箇所。
杖を一振りすれば、本が一冊でき、映画は撮影され、筆はキャンバスの上で踊りだし、芝居は演じられる。作品を検討するなど無益。全てはひとりでに作り上げられる。

作品から表れる才能がその作者自身に帰属をしてしまう天才ではなく、魔術師に私もひかれる。
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by daisukeozaki | 2010-08-19 20:13 | Comments(0)

歎異抄

五木寛之の親鸞が流行っていたが、親鸞と言えば歎異抄。
弟子の唯円が書いたので、学者によってはその価値が違ってくるのだが、やっぱり面白い。
悪人正機説や他力本願など有名だで、風呂でちょっと再読していたのだが、一カ所抜粋すると、こんな感じ。

「念仏やっていると踊りたくなるような、とびはねたくなるような強い喜びのこころがわいてくるらしいが、ちっともわいてきません。また、(念仏をとなえることで行ける)楽しいはずの極楽浄土に早く行こうとする気もさっぱりありません。これはいったいどうしたことでございましょうか?」とおそるおそる親鸞聖人にお尋ねしたところ、

「実は私もそう感じていたのだ。唯円も同じ心だったのか。」

そして、こう話されました。

続きが気になる方は一度現代語訳を読んでみては。読みやすいです。
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by daisukeozaki | 2010-08-04 21:24 | Comments(0)