写真家・尾崎大輔のblog


by daisukeozaki
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<   2011年 09月 ( 4 )   > この月の画像一覧

旅行は小さい頃から嫌いである。カメラマンになった今も変わらない。人間をテーマに写真を撮っていて、どこかに旅に行って写真を撮りたいというのは今まで一度もない。そんな私が死ぬまでに行きたい所、国として挙げていたのが、ポーランドであり、アウシュヴィッツであった。念願が今回叶ったわけである。私にとってそこは世界の果てであり、神が存在しない場所であった。アウシュヴィッツに人間の“何か”を撮りにいったわけである。写真を撮るということは現実と抜き差しならぬ対面をしなければいけない。実際アウシュヴィッツに行った時に自分自身がどう感じるのか知りたかった。


フランクルの「夜と霧」を初めに読んだのはいつ頃だったであろう。再読は何度もした。「良き人は誰も帰って来なかった。」という文章が綴られるこの本の中で私が一番興味を引いたのは、どのような人が最後まで生き残ったかであった。生き残った人の条件として、フランクルが言うには肉体的条件は含まれていなかった。その条件とは愛を感じる人間、夢を持てる人間、そして美を見つけ出せる人間というものだった。最初の2つの項目は創造できそうなものであるが、アウシュヴィッツの極限状態の中で美を見出すとはどのようなものであるのか。本の中では夕焼けを見て、囚人が「なんて世界は美しいのだ。」と涙する描写があるのだが、そこで美を見出せるのかが興味があった。
私が行ったのは丁度夏の終わりで、朝と日が落ちる頃には少し肌寒くなり、上着が必要な時期だったが、感じたのは光がとても綺麗であるということ。ゴッホが昔、日本の浮世絵の影がないことを見て、日本は神の国であると思ったのとは逆に、日本と比べた時にヨーロッパのカラッとした日差しに映る木々の影は絶妙であった。その気はSSに命令され、ユダヤ人達が70年近く前に植えた木々が成長したものだが、その木々の光と影のコントラストが私に何かを感じさせた。


神の存在に疑問をもったのは、ホロコーストの話を聞いたときからである。なぜ神はこのような悲惨な世界を作り出すのかと。信仰深かったエリ・ヴィーゼルは「夜」の中で、天使のような少年が公開処刑で首を吊っている時に、体が軽いために30分近く苦しんでいる姿を見た時に神を捨てた。ライプニッツは神は実存としてのみ悪をもたず、全ての選択肢の中から最善の答えとしてこの世を創造しているとしているが、創造した世界の中にアウシュヴィッツが含まれるのならば、神はいないであろうと思っていた。
他人の身代わりになり餓死刑になったコルベ神父の地下の独房などがほぼそのままの状態で残っていた。その隣にも餓死させたり、窒息させたりする独房が続いていくのだが、その中で囚人が最後に壁に残した落書きがあった。そのほとんどがイエスなどの神の描写であった。神が存在しないと私が思っていた場所で“神が存在していた”のである。もし自分が彼らのような状況になった場合、人間の愚かさを嘆かないであろうか。人間で生まれてきた自分を憎まないであろうか。最後の最後で憎しみの中で死んでいかないであろうか。神を見ることができたらば、人間への憎しみは消えるのであろうか。神をなぜ私は信じることができないのであろうか。


ガス室に入ったときの描写だけは適切な言葉が思い浮かばない。当時のままではないと知っていたが、入り口をくぐり、奥の部屋に入ったときのあの全身にくる“重さ”だけは絶対に一生忘れることはできない。


ある哲学者が考えるとは受動の行為であると言っていた。それは能動的ではなく、何かの現実に遭遇してそこで現実から考えさせられるという受動行為であると。
アウシュヴィッツはその場所自体が、「人間よ、考えよ。」と自ら発しつづけているそんな場所であった。
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by daisukeozaki | 2011-09-30 00:31 | Comments(0)
明日から9月25日までアウシュヴィッツを中心にヨーロッパに撮影に行ってきます。その後、少しだけパリにも行きますが。

かなりの田舎なので、25日まで連絡がつかないと思いますが、宜しくお願い致します。

電話も私の携帯が海外では使えない携帯なので・・・・・すいません。
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by daisukeozaki | 2011-09-15 23:13 | Comments(0)

電車

電車に乗ることは比較的好きな方だ。車、飛行機はそうではないが。
乗車中はほぼ読書をして過ごしている。私にとって、読書が一番はかどる時間である。
最近の車内はだいたい3パターンぐらいに人に分かれている気がする。携帯電話で何かをしているか、本を読んでいるか、寝ているかの主に3つである。ウォーカー・エヴァンスの「地下鉄の肖像」や瀬戸正人の「サイレントモード」のように焦点のあっていない表情を見ることも少なくなった。

レヴィナスの他者論関係の本を読んでいた時に、電車での他者との関係が頭に浮かんだ。人類は愛せるが、隣人は愛せないと言ったのはドストエフスキーであったか。通勤、通学で同じ電車の同じ車両に乗る人は多いと思うが「隣人」をどこまで私達は知っているのであろう。
ある日、通勤している中でいつも同じ車両に乗るサラリーマンが「明日から転勤することになりました。今日までありがとうございました。」と座席から立ち上がって皆に向かって礼を述べたという話を聞いたがことがある。その方は礼を言われたが、数年間毎朝一緒であったのに、挨拶すらしたことがなかった。挨拶もしたことがない無縁の関係が私達の日常であろう。

日常が何かで(例えば犯罪にあってしまった場合など)一変した場合など、その後の日常は異常化されてしまう。心的な外傷ストレスといったものであるが、私達は電車で隣に座った人が刺してこない、その電車が脱線しないなど当たり前の信頼をおいて行動しているわけであるが、強い心的外傷をおった場合、その信頼が当たり前でなくなってしまう。異常が日常化されてしまうのだ。隣人を愛すことはできないが、隣人の日常を壊さないようにするということが必要最低限のことであろう。

今日の電車は人身事故でかなりの満員電車に乗ったのだが、隣人を愛すことはとてもできそうではなかった
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by daisukeozaki | 2011-09-12 21:12 | Comments(0)
前回はしょうもないエロネタだったが、blogのアクセス数がいつもの記事よりも格段に多かったので、今回で最後にするけど前回の続きで少しディープに。

私もアラサーの年齢になり、そろそろ周囲も結婚し始めているが、結婚という制度はキリスト教のアウグスティヌス(よくキリスト教で、胸の前で父と子と聖霊の三位一体の十字架をきる仕草をするが、これを考えた神学者)が秩序を維持するために半ば押しつけた制度。旧石器時代の化石などからは夫婦そろって白骨化された遺体は1体しか見つかっておらず。ローマ時代などが結婚の制度がないため、好き勝手に男女がくっついたり、離れたりできた。今で言う同棲みたいな感じであろう。現在、世界中で結婚という制度を持たない所はないということなので、ある意味でそれだけキリスト教の根本的なことが浸透している。
アウグスティヌスは生殖に関係ないSEX、同性愛、マスターベーションなどを全て禁じたわけであるが、チンパンジーの一種であり、99%人間と同じであるボノボですらオーガズムを感じるためだけに生殖とは関係ないSEXをするので、人間に対して禁止するのはあまりにも酷であろう。(ボノボは売春までしてしまう!)ちなみに、話は変わるが、誰でも知っている牛乳と混ぜて食べるコーンフレークが作られた最初の理由は精力減退を目的にしていた。(今は違うけど。)以前にも少し書いたが、ボノボは乱交によって子供を作り、社会の共同体全体で育てていく。必然的に子供の数が多くなってしまえば、子殺しなども行われる。人間ではアマゾンの奥地に住む原住民、ヤノマミも結婚という制度はあるが、半ば乱交によって子供を作り、ボノボと同じように共同体で育てる。
難しく言えば、レヴィ=ストロースの構造主義的な考えをすれば、日本の一夫一妻制の結婚は成り立っているが、そのようなすり込められた倫理・道徳観などがなくなれば、おそらく性欲に任せるまま乱交によって子供を作るのが普通の考えになるだろう。そうなると、性欲に身を委ね、社会が成り立たなくなると考え、ローマ時代以後、アウグスティヌスは結婚制度を作り出した。

ボノボなどの霊長類と人間の比較をすると結構おもしろい。ボノボのSEXと人間のSEXで一番の顕著な違いはボノボは女性の胸を全く触らない。人間だけが女性の胸を愛撫するのである。これは未だになぜだか分からないが、ボノボの女性の胸はそこまで大きくないためという説もある。松岡正剛がどっかで書いていたけど、二足歩行になって女性器が隠れために、発情期がなくなった。だから、人間の男性はいつ何時でもSEXしたがるんだと。
二足歩行になって、人間で一番分かりやすいのが、男性器。男性器が二足歩行になって格段に発達した。ここで、よく男性が気にする男性器の大きさだが、霊長類は基本的に小さい。人間はかなり大きいと考えてよい。男性誰しもその大きさを気にし、女性は気にしないが、現在の性科学ではサイズは普通が一番良い。アメリカのデータによると、挿入によって、オーガズムを感じる女性は30%とかなり少ない。しかも、挿入によってオーガズムを感じる体位は明らかに女性の恥骨にあたるような体位であるため、それが膣に挿入することによってオーガズムを感じるのかどうかは不明である。恥骨の部分には女性のクリ○○スがあるためである。昔のヨーロッパの女王様でSEXが大好きな人がいたんだけど、挿入によってもオーガズムを感じたいがために、クリ○○スを膣の中に移植した女王様がいたらしい。大きすぎると男性の体が恥骨にあたりにくくなるため、女性は感じにくくなる。なぜ、性科学がこういう事を研究しているかというと、現在10人に1人が不妊症だと言われている。ほぼ明らかになったことだが、女性がオーガズムを感じる時に、子宮の筋肉が収縮し、精子を取り込みやすくなるらしい。それによって、例えば、男性と女性のオーガズムを同時に発生させれば、受胎率があがるのではと考えられている。あくまでも統計データであるので個人差はあるが。
日本人は挿入で女性がオーガズムを感じると思っているが、明らかにAVの観すぎでしょう。それによって、自分のパートナーにも演技させてしまうハメに陥っているかも。

さらに、アメリカと日本で一番違うのはSMの文化で、これは神がいる文化といない文化でまるで違ってくる。縄で縛るのは日本だけである。

しかも・・・と言い始めると永遠に終わりがないので、続きを聞きたければ、飲みにでも行きましょう!!ウーロンハイが入ればいつでもしゃべれるっす。身体心理学の教授から教えてもらった媚薬の話や、縄で縛られることによって起るランナーズハイのような状態など、ネタはかなり豊富っす。
酔っぱらいの戯れ言でした。
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by daisukeozaki | 2011-09-04 21:37 | Comments(0)