写真家・尾崎大輔のblog


by daisukeozaki
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

<   2012年 04月 ( 4 )   > この月の画像一覧

今年のアカデミー賞の作品賞を受賞したアーティスト。
レディースデェイという事もあり、新宿ピカデリーは満席。

感想は普通に良い映画です。
とにかく映画の構成がすごくうまいのが目につく。
サイレント映画だから途中から飽きてくるのではと思っていたが、話のテンポがすごく良く、すごくうまく音の演出を使用している。
また犬のアギーの演技がすごくうまいが、犬に対して声をかけながら演技をさせるサイレントならではの演出も非常にうまかった。

主人公がなぜそこまでサイレント映画にこだわるかという掘り下げはやはり少ないが、この点を掘り下げすぎるのはサイレント映画という事もあり、かなり危険であると思う。

去年の英国王のスピーチといい、無難にデートなどで普段あまり映画を観に行かない人と行っても十分に楽しめます。

ちなみに昨日も観た「Drive」よりは似ている(?)話で今年観た韓国の「哀しき獣」の方が面白かったっす!!
[PR]
by daisukeozaki | 2012-04-18 23:24 | 映画 | Comments(0)
本年度のアカデミショーの外国語部門賞を受賞した本作。
イラン映画だと「運動靴と赤い金魚」とかほのぼのした映画しか知らないけど、結構たくさん製作されているらしい。この映画はヒューマンサスペンスのような内容の映画。

予告編はこちら→http://www.betsuri.com/

イギリスで初めて住んだ地域がイスラム教徒の人が多く住む地域で、最初に出来た友達もイラン人であった。私の住んでいた地域では、ロンドンのバス爆破テロで、3人の実行犯がでた地域でもある。ただ、実際は柔和な方がほとんどで習慣として色々な宗教儀式はあるものの、こちらがある程度寛容的に接すれば全く問題ない人々に思う。日本みたいな新興宗教の勧誘的なものも一切ない。

そういった先入観もあった上で、イスラム教圏内の国の生活を土台にした映画を見るとなかなか興味深い。
映画の中に出てくるのだが、例えば、介護のヘルパーが女性で介助が必要な男性がトイレの失敗をした場合、下の世話することが宗教的に罪に問われる場合がある。さらに流産をさせてしまった場合は殺人罪が適応される。
一番の日本人との特異点は神への信仰の深さ。これが映画でも重要となってくる。

話は変わりますが、色々イスラム教世界の事が知りたいという方は、「テヘランでロリータを読む」という本がお勧めです。イラン革命時の話で、青春真っ盛りの子供がどういう宗教的制約の中で生活しているかなどが分かると思います。ただ、若干見方が偏りすぎているかもしれませんが。

映画自体は脚本がよく出来ており、かなりの多重構造で物語が進んでいきます。
内容的にはかなり良い映画だと思う。イスラムの世界の家族の話から普遍的家族の問題まで深く行き着いている部分があると思う。

けど・・・・(ここからちょっとネタばれが入るかも。)

単純に僕はこの夫婦がだめかも。子供が大事だからといって、結局、自分の事しか考えてない気がするし、こういう夫婦ってどこの国でもいると思うし、私はあんまり好きにはなれない。

だだ、良い映画だと思うので時間のある人は是非どうぞ。
「KOTOKO」の方がお勧めっすけど。
[PR]
by daisukeozaki | 2012-04-14 19:27 | 映画 | Comments(0)
公開初日に「KOTOKO」をたまたま時間が取れて鑑賞。
終わった後、色々と消化するまで時間がかかったので、展覧会用の写真のセレクトが出来ず、ぶらぶらと新宿御苑周辺の写真ギャラリーにいってしまった。

Coccoが精神に問題のある母親、KOTOKOを演じる親子のストーリー。
私にとってはあまりにリアルすぎた。

同じような境遇の女性とお会いする事も多々ある。
少し前に写真を撮らせていただいた女性はKOTOKOと同じように統合失調症を患いながら、三人の子供を育てていた。手には自損の後もあった。その女性は、10代の時にドラッグ中毒になった為、統合失調症を永遠にわずらうことになった。数多くの自損のシーンが出てくるが、昔あった人は手の甲に油をぬり、そこにライターで火をつけたこともあった。
映画の中では幻覚の中にかなり暴力描写がでてくるけど、実際はどこまで当事者たちにでているかはわからない。ただ、無表情の人間がこっちに襲ってくる感覚は自閉症の人の世界に似ているような気がする。
さらには、音の使い方。監督が舞台挨拶に時に、音量をかなりこだわったと言うように、一般には何の変哲もない音が自閉症の人にはノイズのように聞こえるあの恐ろしい音が映画の中でよく表されていたと思う。

歌を歌っているときだけ、世界はふたつではなく、ひとつになるとKOTOKOの台詞にもあるが、多くの天才と言われるアーティストは遠からず、同じように芸術という生易しいものではなく、生きる為に表現せざるおえない状態なのであろう。
原案と美術がCoccoとなっていており、且つ最後におそらく実の息子も登場している。ほとんどすべてがCoccoの見る世界を土台にしており、もちろん映画的虚飾はつけられているであろうが、本当にどこまでがリアルで、どこまでがフェイクなのかわからない世界に連れ込まれていってしまった。

決して見て楽しいと思う映画ではないけど、超お勧めというか、音の演出もあるので絶対映画館で見た方がいい映画っす!!

小説家として塚本晋也が登場してくるんだけど、ちゅっと村上春樹とだぶっておかしかった。
[PR]
by daisukeozaki | 2012-04-07 22:04 | 映画 | Comments(0)

 美とは何か

おかげ様で、いやー、忙しい。
ちょっとblogを更新する暇というか、やる気もなかった。
今日は諸事情で撮影が一本ポシャったので、家でデータ処理して、のんびり過ごし中。
先日、ドストエフスキーの「悪霊」を読み終え、そこからちょっと小難しく「美」というものは何なのかについて思うところを。

視覚障害者の写真教室を開催していて、先日も好評頂いたのですが、なぜこの教室をやっているというと凄く個人的な理由から始まる。ソフィ・カルの作品で生まれてから目の見えない先天的盲人の方に「この世で最も美しいものはなんですか?」、「美とはなんですか?」と質問し、その答えを撮影するという作品がある。私は「写真は私たちの記憶を記録出来るのですか?」で私は答えを直接盲人の方に撮影してもらおうと思い、答えが“人間”であったので、私自身を撮影してもらった。

ドストエフスキーは「白痴」において最も美しい、無条件な美をもつ人間を描き、それを白痴とした。キリスト教の罪を憎んで、人を憎まずという教えを体現出来るのは白痴においてしかないということである。人類は愛せるが、隣人は愛せないのである。
そして、ドストエフスキーは「悪霊」において、この世は美でしか救えないと語っている。フランクルも「夜と霧」において、アウシュヴィッツの中での生存条件のひとつとして、美が見出せるかどうかという条件を語っていた。

ただ、今まで色々な方と直接お会いして撮影をしてきて感じたのは人間を無条件に美しいと私はいえるのかということである。

ここでカントの考えなのだが、美というものは目的を持たない目的、それだけで自己増幅を行うものであると捉えている。そこで刹那瞬で美を考えた場合、その瞬間でも運動を行っていると考えられ、美それ自体が完璧である必要はないということになる。

美が完璧でないとすれば、人間が美であった場合も完璧である必要はなくなり、人間がこの世界を救えるかもしれないということになるのである。

ということは、私が人間に美を見いだして、写真に記録していっても矛盾は生じないと勝手に解釈し、今日も一人の女性を撮影してきました。
[PR]
by daisukeozaki | 2012-04-03 22:45 | Comments(0)