歎異抄
2010年 08月 04日
五木寛之の親鸞が流行っていたが、親鸞と言えば歎異抄。
弟子の唯円が書いたので、学者によってはその価値が違ってくるのだが、やっぱり面白い。
悪人正機説や他力本願など有名だで、風呂でちょっと再読していたのだが、一カ所抜粋すると、こんな感じ。
「念仏やっていると踊りたくなるような、とびはねたくなるような強い喜びのこころがわいてくるらしいが、ちっともわいてきません。また、(念仏をとなえることで行ける)楽しいはずの極楽浄土に早く行こうとする気もさっぱりありません。これはいったいどうしたことでございましょうか?」とおそるおそる親鸞聖人にお尋ねしたところ、
「実は私もそう感じていたのだ。唯円も同じ心だったのか。」
そして、こう話されました。
続きが気になる方は一度現代語訳を読んでみては。読みやすいです。
弟子の唯円が書いたので、学者によってはその価値が違ってくるのだが、やっぱり面白い。
悪人正機説や他力本願など有名だで、風呂でちょっと再読していたのだが、一カ所抜粋すると、こんな感じ。
「念仏やっていると踊りたくなるような、とびはねたくなるような強い喜びのこころがわいてくるらしいが、ちっともわいてきません。また、(念仏をとなえることで行ける)楽しいはずの極楽浄土に早く行こうとする気もさっぱりありません。これはいったいどうしたことでございましょうか?」とおそるおそる親鸞聖人にお尋ねしたところ、
「実は私もそう感じていたのだ。唯円も同じ心だったのか。」
そして、こう話されました。
続きが気になる方は一度現代語訳を読んでみては。読みやすいです。
by daisukeozaki
| 2010-08-04 21:24
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