ハイデッガーより
2010年 10月 09日
ハイデッガーの「存在と時間」の中で寓話を元に、神と人間の違いについて書かれている箇所がある。
その違いを“関心”としているのだが、それを拡大解釈し、興味、知への欲求とした場合、神は全てを知っているため、興味、関心をもたないと考えられる。
この解釈において、仮に神が存在するとしたならば、きっと退屈なんだろうと考えてしまう。結局はゲーテのファウストのように悪魔に魂を売りわたしてまでも何かを渇望しようとするであろう。
そうなった場合は、結局は何かに関心をもってしまう存在になる為、それは人間へと変わってしまう。
神は人間になりたいのではないだろうか。
その違いを“関心”としているのだが、それを拡大解釈し、興味、知への欲求とした場合、神は全てを知っているため、興味、関心をもたないと考えられる。
この解釈において、仮に神が存在するとしたならば、きっと退屈なんだろうと考えてしまう。結局はゲーテのファウストのように悪魔に魂を売りわたしてまでも何かを渇望しようとするであろう。
そうなった場合は、結局は何かに関心をもってしまう存在になる為、それは人間へと変わってしまう。
神は人間になりたいのではないだろうか。
by daisukeozaki
| 2010-10-09 21:58
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