ある人との対話
2011年 04月 21日
新宿で「英国王のスピーチ」を鑑賞し(ちなみに私は普通に面白かったです。)、お金を出さないと入れない写真展に久しぶりに行き(これは金返せという感じ。卑怯ですが、著名な写真家なのでここでは名前は伏せておきます。)、その後、今日のイベントのメインディッシュである禅僧の方と食事。
前も書いたかもしれないが、ディアローグとディベートの違いで前者は話終わった後に自身の意見が変わっていれば良く、後者は変わらないことを良しとする。
今回はもちろん食事をしながらの対話、ディアローグである。
その方は南直哉さんという著名な禅僧。
どのような方か知りたい方は南さんのブログが下記のアドレスなのでアクセスしてみて下さい。興味深い方だと思います。
http://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/
私のラブコールで実現した食事会。色んな質問に真摯に答えていただき、今その答えを自分の頭の中で反芻している状態で、とてもじゃないがここですぐに言語化して書くことは出来そうもない。
ただ、一つ印象に残ったのは、南さんもおっしゃっていただいたが、他者の事を自分に置き換えるような癖を私も南さんを持っているということ。もちろん、私達もお互いに他者であるので、全く同じではないという前提が入るともおっしゃっていた。(南さんの考え方はhttp://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/のブログの3月15日の大震災の記事を参照して下さい。もちろん、私の考えと微妙に違う部分もあると思います。)
私の意見を書けば、他者を見ることによって自己を見ざるおえなくなり、自分自身がどんどんと変わっていく。鷲田さんの言葉で言えば、それが臨床哲学に通ずる部分なのかもしれない。他者を絶対に完全には理解できなという前提に立ちながれであるが。
結局、私が写真をやっていることは別に何かを表現したいとかそういうことではなく、このように色んな人に出会えることだと思う。それをただ単に写真というツールで記録していて、たまたま自己が表出されてしまうだけなのであろう。様々な出会いのたびに自分の考えがどれだけちっぽけなのかを思い知らされる。
今日も貧乏ながら写真家をしていて良かったと思う日であった。
ちなみに、先月は私の大好きなラジオパーソナリティの小島慶子さんにお会いする機会もあった。
写真家万歳!!