ある写真家との出会い
2011年 08月 12日
東京での生活が始まったのは、王子駅から飛鳥山の方に15分ほど歩いた所にあるアパート。窓を開ければ、すぐに壁があり、日光は入らず、今考えると最悪の部屋だった。なぜそこにしたのかという理由らしい理由と言えば、両親は東京の土地勘は全くなく、親戚に頼った所、都電荒川線ならば直接大学に行けるため、そこに決まった。
大学に通いながら、出版社で仕事をし始め、その頃から写真に興味を持ち始めた。
写真を始める誰しもがそうかと思うが、当時はかなりの写真の量を見ていた。主に見ていたのは写真集から。もちろん、お金なんてないので、休みの日に自転車を池袋まで飛ばし、座れる本屋でひたすら写真集を見ていた。
そんなある日、王子駅の目の前の歩道橋でハッセルブラッドを首から掲げた男性とすれ違う。その男性が私の好きな写真家だとすぐに気づき思わず、声をかけてしまった。生まれてこのかた、面識のない人間に道で声をかけるなど、最初で最後だ。声をかけられた写真家はなんでも雑誌の仕事で王子の方に来ており、その後、私がした2、3の質問に丁寧に答えるとお互い挨拶をし、雑踏の中に消えていった。
その後、数年が経ち、写真集も出版でき、写真家の尾崎さんですと紹介されることにも慣れ始めてきた。そして、昔、王子であった私の好きな写真家に自分の写真見ていただきたいと思い、「数年前に王子駅の近くで声をかけさせていただいた尾崎大輔と申します。あれから年月も経ち、なんとか写真集も出せれるぐらいのカメラマンになりました・・・」と始まる手紙を添えて、写真集をお送りした。数日後、その写真家から「覚えています。あれは確か歩道橋の近くでした・・・」と始まる非常に丁寧な文章が綴られたポストカードが送られてきた。
写真家の名前は鬼海弘雄さん。
鬼海さんの写真展が8/13から東京都写真美術館で始まります。
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1384.html
いつか、鬼海さんのような写真を撮りたい。
お盆休みに東京にいる方は是非、足を運んでみて下さい。僕が好きだという理由は分かると思います。

尾崎さんも鬼海さんの作品が好きだったんですね。
お声までかけられたとは。
「ぺるそな」を初めて見たときは衝撃でした。
東京に行く機会がないので難しそうですが、
見に行きたいです。
前に何かで荒木さんが、ハッセルでお辞儀をしながら撮っているので、写真に人に対しての尊敬の念が表れてるって言ってました。毛利さんも“お辞儀”の写真なので、頑張って撮り続けて下さい。大阪も暑いと思うので、体調にはお気をつけを。