一斤のパン以上に価値のある芸術は存在するのか
2012年 03月 14日
基本あまり現代アートに興味はない。よく写真は芸術なのかどうかという言説があるが、デュシャンも言っているが、写真が純粋芸術において絵画に勝る事はなく、現代においては芸術自体が存在するかも怪しいと思う。
ジャン・ボードリヤールのこの本は現代アートを鑑賞し、訳が分からないと思っている大多数の人の背中を後押ししてもらえる。
現代アート自体がすでに無価値・無内容に、ことさら無価値・無内容、無意味ナンセンスを要求し、無価値・無内容をめざすというわけだ。既に無意味なのに、ナンセンスをめざし、うすっぺらな言葉でうすっぺらを気取るのである。この側面の無価値・無内容の脅迫を通じて、逆に現代アートにとって無価値・無内容である事が重要なのだと鑑賞者に信じ込ませる。そして、現代アートが無価値・無内容であるはずがない、そこには何らかの深い意味・価値が含まれているのではなかろうかとメタ構造を探求する。
現代アートは視覚的なフォルムなどの形態ではなく、芸術村の人々がいう非視覚的な価値に移行されたのである。芸術村の人が全く知識のない私達に「この会社はこんなにも価値があるのだから、この株価は当然」とインサイダー取引をふっかけてくるのである。
そういった場合で現代アートを定義した場合、多くの写真が現代アートの範疇におさまってしまうのは悲しいかな事実であろう。

「芸術の陰謀 消費社会と現代アート」
ジャン・ボードリヤール(著)、塚原史(訳・解説)、NTT出版(出版社) ¥2400