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写真家・尾崎大輔のblog


by daisukeozaki
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 美とは何か

おかげ様で、いやー、忙しい。
ちょっとblogを更新する暇というか、やる気もなかった。
今日は諸事情で撮影が一本ポシャったので、家でデータ処理して、のんびり過ごし中。
先日、ドストエフスキーの「悪霊」を読み終え、そこからちょっと小難しく「美」というものは何なのかについて思うところを。

視覚障害者の写真教室を開催していて、先日も好評頂いたのですが、なぜこの教室をやっているというと凄く個人的な理由から始まる。ソフィ・カルの作品で生まれてから目の見えない先天的盲人の方に「この世で最も美しいものはなんですか?」、「美とはなんですか?」と質問し、その答えを撮影するという作品がある。私は「写真は私たちの記憶を記録出来るのですか?」で私は答えを直接盲人の方に撮影してもらおうと思い、答えが“人間”であったので、私自身を撮影してもらった。

ドストエフスキーは「白痴」において最も美しい、無条件な美をもつ人間を描き、それを白痴とした。キリスト教の罪を憎んで、人を憎まずという教えを体現出来るのは白痴においてしかないということである。人類は愛せるが、隣人は愛せないのである。
そして、ドストエフスキーは「悪霊」において、この世は美でしか救えないと語っている。フランクルも「夜と霧」において、アウシュヴィッツの中での生存条件のひとつとして、美が見出せるかどうかという条件を語っていた。

ただ、今まで色々な方と直接お会いして撮影をしてきて感じたのは人間を無条件に美しいと私はいえるのかということである。

ここでカントの考えなのだが、美というものは目的を持たない目的、それだけで自己増幅を行うものであると捉えている。そこで刹那瞬で美を考えた場合、その瞬間でも運動を行っていると考えられ、美それ自体が完璧である必要はないということになる。

美が完璧でないとすれば、人間が美であった場合も完璧である必要はなくなり、人間がこの世界を救えるかもしれないということになるのである。

ということは、私が人間に美を見いだして、写真に記録していっても矛盾は生じないと勝手に解釈し、今日も一人の女性を撮影してきました。
by daisukeozaki | 2012-04-03 22:45 | Comments(0)