原発再稼働と人間の根源悪
2012年 06月 19日
大飯原発の再稼働が決まった。
マスコミで日々語られているのは停止した状態の場合、電気の供給量が少なく大変な事になるということ、それに伴って経済が大打撃を受けることである。
この論点の立て方においては、経済と倫理・道徳を全く同じ土俵で扱っていることになる。結局は電気を得ることに命をかけたわけである。
人間の根源悪は真理よりも幸福を優先する事であると言ったのは、カントである。どんなに正しいと分かっていても我々は自身の幸福を優先してしまうのである。
どんなに原発を再稼働するのが良くないと分かっていても、再開により自分自身が仕事を得られる、また自分自身の工場に安定した電気が送られる事によって首を切られる事はないといった場合、再稼働を選択せざるおえなくなるのが人間である。
アウシュヴィッツ強制収容所に行った時にも同じ事を思ったのだが、約6000人のドイツ人がそこで人殺しという仕事をしていたわけである。もしこの人殺しの仕事を辞めてしまえば、家族が食えなくなるのである。強制収容所の周りは子供のブランコなどがある静かな団地みたいな町だったのはものすごく印象的であった。
全ての人間が正しい事を貫徹できるほど人間は強い存在でない。
真冬、たき火が原因で対岸の町が大火事となり、多くの人が川を渡って避難してきた。川の向うではまだ火が燃え続けている。ただ、こちらは真冬で雪もちらちらまっている。誰かが寒いのでたき火をしようといい、こちらでもたき火をやることになり、その火を囲んで人々は暖まりながら、対岸の火事の状況を見ている。
このような状況が福島と日本の現在の状況であるのではと思う。
ただ、人間はそこからでしか始められない。坂口安吾の「堕落論」のも書かれているが、人間は堕落するところからしか始まらず、そういう人間だからこそ、私は非常に興味を持つわけである。影をもたないものは同じく光もあたっていないため、写真には撮れないわけである。
しかし、人間は堕ちきるには弱すぎる存在である。
マスコミで日々語られているのは停止した状態の場合、電気の供給量が少なく大変な事になるということ、それに伴って経済が大打撃を受けることである。
この論点の立て方においては、経済と倫理・道徳を全く同じ土俵で扱っていることになる。結局は電気を得ることに命をかけたわけである。
人間の根源悪は真理よりも幸福を優先する事であると言ったのは、カントである。どんなに正しいと分かっていても我々は自身の幸福を優先してしまうのである。
どんなに原発を再稼働するのが良くないと分かっていても、再開により自分自身が仕事を得られる、また自分自身の工場に安定した電気が送られる事によって首を切られる事はないといった場合、再稼働を選択せざるおえなくなるのが人間である。
アウシュヴィッツ強制収容所に行った時にも同じ事を思ったのだが、約6000人のドイツ人がそこで人殺しという仕事をしていたわけである。もしこの人殺しの仕事を辞めてしまえば、家族が食えなくなるのである。強制収容所の周りは子供のブランコなどがある静かな団地みたいな町だったのはものすごく印象的であった。
全ての人間が正しい事を貫徹できるほど人間は強い存在でない。
真冬、たき火が原因で対岸の町が大火事となり、多くの人が川を渡って避難してきた。川の向うではまだ火が燃え続けている。ただ、こちらは真冬で雪もちらちらまっている。誰かが寒いのでたき火をしようといい、こちらでもたき火をやることになり、その火を囲んで人々は暖まりながら、対岸の火事の状況を見ている。
このような状況が福島と日本の現在の状況であるのではと思う。
ただ、人間はそこからでしか始められない。坂口安吾の「堕落論」のも書かれているが、人間は堕落するところからしか始まらず、そういう人間だからこそ、私は非常に興味を持つわけである。影をもたないものは同じく光もあたっていないため、写真には撮れないわけである。
しかし、人間は堕ちきるには弱すぎる存在である。
by daisukeozaki
| 2012-06-19 18:37
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