雑誌「ノーマライゼーション」で視覚障碍者の写真が特集されました!!
2014年 06月 08日
雑誌「ノーマライゼーション」に視覚障碍者と写真というテーマで特集をして頂きました。記事の文章は視覚障碍者の当事者でもある山口和彦さんが書いて頂きました。
下記に文章を全て添付させていただいております。
興味のある方は一読頂ければ幸いです。
見えない世界を写す
—— 視覚障碍でも写真を楽しむ ——
日本視覚障碍者芸術文化協会 山口和彦
この4月29日、東京の井の頭公園で日本視覚障碍者芸術文化協会が主催する第8回 視覚障害者と一緒に楽しむ写真教室に参加した。
写真と視覚障碍
写真と言えば、これまで視覚障碍者にとって被写体として撮影されるだけということが多かった。一般的に視覚障碍者が現像された写真をもらってもほとんど理解できず興味を持てないというのが実情だった。まして、カメラを持って自分から進んで撮影をすることは頭から無理と考え、写真撮影をあきらめている人がほとんどだった。
視覚障害者にとってカメラは本当に無縁なものなのだろうか、撮影は難しいものなのだろうか。視覚障碍者が自ら主体的にカメラを持って撮影し、それを現像して少しでも楽しむことができないだろうかということからこの写真教室が始まったのが約3年ほど前だった。昨年11月には新宿で視覚障碍者が撮影した写真展を開催した。そのとき、写真を見た人からは、「どうして視覚障碍がありながら、こんなにきれいな写真を撮れるのでしょうか」といった質問があった。
視覚障碍者が撮影できるようになったのは、最近のデジタル・カメラの技術の進歩によりカメラの操作が簡便になり、画像が鮮明になったことが大きい。しかも撮影したものを その場で介助者と共に確認できるので失敗を気にすることなく気楽に撮影ができるのも大きな利点だ。しかし、視覚障碍者が撮影した写真を触って理解するには、画像を立体コピーにしなければならない。立体コピーを作成するためには画像のデータをパソコンに取り込み、それをデータ処理しなけれはならない。撮影した画像データをそのまま立体コピーにしても情報量が多すぎて複雑であるため、できるだけ簡略化しなければ触って理解するのは難しい。ただ、自分の撮影した写真は撮影したときのイメージがあるので、立体コピーを触りなから説明してもらえれば比較的理解しやすい。
写真教室
これまで写真教室に参加した方々はカメラを持つことが初めてという人からプロのカメラマンで中途失明になり写真撮影をあきらめていた人などさまざまだった。自分が撮影した写真がどのように撮れているか、触ることで新たな発見をした視覚障碍者もいた。例えば、目の前のまっすぐにのびた道を撮影した場合、写真ではどんどん先に行く程、道が細くなる。立体コピーを触ることにより、初めて遠近法を知ったという視覚障碍者もいた。また先天的に目が見えなくて「影」という言葉は知っていたが、具体的に自分の影を写真にとり、それを立体コピーにしたところ、「影」の具体的イメージがつかめたということもあった。
では実際にどのようにして視覚障碍者が撮影するのだろうか。老若男女、井の頭公園の湖畔を楽しく歩いている人込みのなかを私もガイドから情報提供を受けながら歩く。頭にイメージができるように、できるだけ細かく説明してもらう。与えられた情報をもとに自分の興味のある対象があればカメラをむけて撮影する。この時、対象物が音の出るものであれば、音源に向けてカメラの方向を決めるので撮影は比較的容易だ。しかし花や景色など音のない場合は、ガイドに対象物までの方向や距離などを説明してもらう必要がある。近距離で触れるぐらいのものであれば、接写をすることにより視覚障害者でも比較的容易に撮影ができる。対象物が遠距離の場合、手に持ったカメラのレンズの位置が上下、左右にずれると大分対象物から離れてしまう。また対象物が動いている場合は、説明している間に対象物が移動してしまうので、撮影が難しくなる。カメラ操作に慣れてくると、望遠を使ったり、いろいろと工夫ができるので楽しさも倍増する。また、写真撮影に慣れてくると、自分の撮影したい意図を予めガイドに説明し、そのテーマに沿って情報提供をしてもらうと視覚障害者も環境の理解に役立つ。公園を散歩するにしても情報量は莫大である。情報を絞り込むためにも、カメラを持った視覚障害者の意図を事前にガイドに伝えておけば、お互いに有効な時間を共有できる訳だ。
写真教室では、多くの画像のなかから3枚を厳選する。3枚の現像した作品を壁に貼り、参加者を交えてプロのカメラマンから講評を受ける。全盲者には立体コピーが配布される。健常者もアイマスクをして撮影した写真を見て、あまり構図などを考えずに自然にとれた写真の面白さに気づかされることもある。視覚障害者もガイドからの限られた情報をもとに撮影し写真を展示する。自分の想像したものより意外によく撮れていたりする。現実の世界を撮影しながら更に進むと自分で自由に想像し見えない世界を創作するのが楽しみになる。 現実に眼で見る世界を通して見えない世界、例えば、暑さ、寒さ、疲労、歓喜、愛情、憎悪、恐怖、不安など写真でどう表現できるのだろうか挑戦したくなる。写真もひとつの表現手段、創作活動と考えれば、現実に目が見える、見えないはあまり関係なく楽しめるのではないだろうか。見えない世界で生活をしている視覚障害者にとって、見えない精神的な世界を現実の事象を写真で表現する点では、むしろ得意な分野なのかも知れない。
写真の面白さ
写真教室では、健常者はアイマスクを着用し、視覚障害を体験しながら撮影や食事をする 健常者は視覚障害に伴う困難さを体験すると共に、視覚障害者に対して情報提供の大切さを身を持って理解できる。また、体験を通して、いろいろな世界を様々な視点で見ることができたと好評を得ている。
前回、子供を連れて初めて写真教室に参加した視覚障害の母親がいた。初めてカメラを操作し、自分の子供の顔を撮影した。それを立体コピーにしたものを指で触りながら「初めて子供の顔が‘見えた’!」と涙ぐんでいたことがあった。
東日本大震災で被災された方が泥だらけの家族の写真をきれいに洗い流し大切に持っていたいという話を聞く。写真は私達の記憶を記録に留めて置くのだろう。人はなにかを手がかりに過去の楽しい思い出や苦しい体験などをフィードバックするのには、やはり写真のようなものが必要なのではあるまいか。視覚障害者にとっても撮影したものを立体コピーにして記憶を辿ることができれば幸いである。
今後の写真教室の予定、視覚障害者の写真や写真教室などのイベントに関するご質問などは尾崎大輔(Mail info@daisukeozaki.com)までお気軽にご連絡下さい。
下記に文章を全て添付させていただいております。
興味のある方は一読頂ければ幸いです。
見えない世界を写す
—— 視覚障碍でも写真を楽しむ ——
日本視覚障碍者芸術文化協会 山口和彦
この4月29日、東京の井の頭公園で日本視覚障碍者芸術文化協会が主催する第8回 視覚障害者と一緒に楽しむ写真教室に参加した。
写真と視覚障碍
写真と言えば、これまで視覚障碍者にとって被写体として撮影されるだけということが多かった。一般的に視覚障碍者が現像された写真をもらってもほとんど理解できず興味を持てないというのが実情だった。まして、カメラを持って自分から進んで撮影をすることは頭から無理と考え、写真撮影をあきらめている人がほとんどだった。
視覚障害者にとってカメラは本当に無縁なものなのだろうか、撮影は難しいものなのだろうか。視覚障碍者が自ら主体的にカメラを持って撮影し、それを現像して少しでも楽しむことができないだろうかということからこの写真教室が始まったのが約3年ほど前だった。昨年11月には新宿で視覚障碍者が撮影した写真展を開催した。そのとき、写真を見た人からは、「どうして視覚障碍がありながら、こんなにきれいな写真を撮れるのでしょうか」といった質問があった。
視覚障碍者が撮影できるようになったのは、最近のデジタル・カメラの技術の進歩によりカメラの操作が簡便になり、画像が鮮明になったことが大きい。しかも撮影したものを その場で介助者と共に確認できるので失敗を気にすることなく気楽に撮影ができるのも大きな利点だ。しかし、視覚障碍者が撮影した写真を触って理解するには、画像を立体コピーにしなければならない。立体コピーを作成するためには画像のデータをパソコンに取り込み、それをデータ処理しなけれはならない。撮影した画像データをそのまま立体コピーにしても情報量が多すぎて複雑であるため、できるだけ簡略化しなければ触って理解するのは難しい。ただ、自分の撮影した写真は撮影したときのイメージがあるので、立体コピーを触りなから説明してもらえれば比較的理解しやすい。
写真教室
これまで写真教室に参加した方々はカメラを持つことが初めてという人からプロのカメラマンで中途失明になり写真撮影をあきらめていた人などさまざまだった。自分が撮影した写真がどのように撮れているか、触ることで新たな発見をした視覚障碍者もいた。例えば、目の前のまっすぐにのびた道を撮影した場合、写真ではどんどん先に行く程、道が細くなる。立体コピーを触ることにより、初めて遠近法を知ったという視覚障碍者もいた。また先天的に目が見えなくて「影」という言葉は知っていたが、具体的に自分の影を写真にとり、それを立体コピーにしたところ、「影」の具体的イメージがつかめたということもあった。
では実際にどのようにして視覚障碍者が撮影するのだろうか。老若男女、井の頭公園の湖畔を楽しく歩いている人込みのなかを私もガイドから情報提供を受けながら歩く。頭にイメージができるように、できるだけ細かく説明してもらう。与えられた情報をもとに自分の興味のある対象があればカメラをむけて撮影する。この時、対象物が音の出るものであれば、音源に向けてカメラの方向を決めるので撮影は比較的容易だ。しかし花や景色など音のない場合は、ガイドに対象物までの方向や距離などを説明してもらう必要がある。近距離で触れるぐらいのものであれば、接写をすることにより視覚障害者でも比較的容易に撮影ができる。対象物が遠距離の場合、手に持ったカメラのレンズの位置が上下、左右にずれると大分対象物から離れてしまう。また対象物が動いている場合は、説明している間に対象物が移動してしまうので、撮影が難しくなる。カメラ操作に慣れてくると、望遠を使ったり、いろいろと工夫ができるので楽しさも倍増する。また、写真撮影に慣れてくると、自分の撮影したい意図を予めガイドに説明し、そのテーマに沿って情報提供をしてもらうと視覚障害者も環境の理解に役立つ。公園を散歩するにしても情報量は莫大である。情報を絞り込むためにも、カメラを持った視覚障害者の意図を事前にガイドに伝えておけば、お互いに有効な時間を共有できる訳だ。
写真教室では、多くの画像のなかから3枚を厳選する。3枚の現像した作品を壁に貼り、参加者を交えてプロのカメラマンから講評を受ける。全盲者には立体コピーが配布される。健常者もアイマスクをして撮影した写真を見て、あまり構図などを考えずに自然にとれた写真の面白さに気づかされることもある。視覚障害者もガイドからの限られた情報をもとに撮影し写真を展示する。自分の想像したものより意外によく撮れていたりする。現実の世界を撮影しながら更に進むと自分で自由に想像し見えない世界を創作するのが楽しみになる。 現実に眼で見る世界を通して見えない世界、例えば、暑さ、寒さ、疲労、歓喜、愛情、憎悪、恐怖、不安など写真でどう表現できるのだろうか挑戦したくなる。写真もひとつの表現手段、創作活動と考えれば、現実に目が見える、見えないはあまり関係なく楽しめるのではないだろうか。見えない世界で生活をしている視覚障害者にとって、見えない精神的な世界を現実の事象を写真で表現する点では、むしろ得意な分野なのかも知れない。
写真の面白さ
写真教室では、健常者はアイマスクを着用し、視覚障害を体験しながら撮影や食事をする 健常者は視覚障害に伴う困難さを体験すると共に、視覚障害者に対して情報提供の大切さを身を持って理解できる。また、体験を通して、いろいろな世界を様々な視点で見ることができたと好評を得ている。
前回、子供を連れて初めて写真教室に参加した視覚障害の母親がいた。初めてカメラを操作し、自分の子供の顔を撮影した。それを立体コピーにしたものを指で触りながら「初めて子供の顔が‘見えた’!」と涙ぐんでいたことがあった。
東日本大震災で被災された方が泥だらけの家族の写真をきれいに洗い流し大切に持っていたいという話を聞く。写真は私達の記憶を記録に留めて置くのだろう。人はなにかを手がかりに過去の楽しい思い出や苦しい体験などをフィードバックするのには、やはり写真のようなものが必要なのではあるまいか。視覚障害者にとっても撮影したものを立体コピーにして記憶を辿ることができれば幸いである。
今後の写真教室の予定、視覚障害者の写真や写真教室などのイベントに関するご質問などは尾崎大輔(Mail info@daisukeozaki.com)までお気軽にご連絡下さい。
by daisukeozaki
| 2014-06-08 20:41
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