第12回視覚障害者と一緒に楽しむ写真教室の報告・感想
2016年 04月 14日
視覚障害のある当事者の方だけでも20名ほどご参加いただき、福島や大阪など遠くからお越しの方もおり、本当に皆様が色々とご紹介いただいくおかげで広がっていっているのを実感しています。
今回の写真教室である方がこんな話をしてくれました。書いても大丈夫ですと言われたので、ここで書かせていただきます。
吉祥寺の井之頭公園では桜は完全に散っている多くの参加者が桜を撮っていました。その中である一人の参加者は桜に関して複雑な思いがあることを知りました。
私を含め、撮影のサポーターたちは綺麗な桜を説明しますが、その方は桜に対してセンチメンタルな思いがありました。それは目が見える最後に見た風景が垂れ桜だったからです。
当時、娘さんと一緒に一泊二日の予定で、自転車で病院に行き、そこで入院し手術をしたのですが、それが結局は1年半の入院となり、二度と自転車に乗れる事がなかったとのことです。その時に最後に見てイメージとして残っているのが桜のイメージなのです。
写真家、ダイアン・アーバスは先生でもあるリゼット・モデルから「自分が恐るものを撮りなさい」と言われました。また、ソフィ・カルも最後の風景という作品で視覚障害のある方が最後に見た風景を聞く作品を作っています。
もしカメラマンの自分が失明し、その後、最後に見たイメージに対してレンズを向けることはできるのだろうかと逡巡しました。もちろん、この方もその後色々紆余曲折をへて、今にいたり桜を撮影したのですが、それはこの撮影者の人間的強さの表れでもあります。
イメージを伝えるということがどういうことか考えさせられた今回の写真教室でした。
写真はその方が撮影した湖面に桜が散っている写真です。後ろには噴水も写っている縦写真です。

