写真家・尾崎大輔のblog


by daisukeozaki
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11月17日(土)の視覚障害者と一緒に楽しむ写真教室と展覧会の活動報告

昨日の写真教室、トークイベントご参加いただいた方ありがとうございました。
今回、展覧会のも出品していただいていて、昨日もワークショップに手伝いに来ていただいた清水裕貴さんがtwitterで昨日のトークイベントの感想などを少し呟いていて、それに私も反応し、やりとりしていたので、それにプラスアルファで昨日の活動報告としてこちらにUPさせていただきます。

清水さん:今日はワークショップで、視覚障害者の方が写真家たちに「なぜ動画ではなく写真なのか」と質問をする場面があり、写真家たちがウーンと唸りながら色々答えた中に「触れられるから」という意見が多かった(ザックリまとめると)。それは実際の制作経験からの素朴な意見なんだが、結構納得感ある。
プリニウスの、戦地に赴く恋人の影をなぞった娘の物語は、絵画の起源として語られることが多いけど(そして写真論の本でもよく持ち出される)、あれはレリーフの起源の話なのだ。触れる絵。
写真は何かの身代わりになりうる「物質」である。プリントだからではなく、静止画である故に。
動画はファントム。
でも呪いのビデオは微妙な存在だ。リングは映像のファントムが画面から飛び出す。

尾崎:清水さん、昨日はありがとうございました。その話飲み会でも出て、ちょっと話外れるんですが、じゃあ、視覚障害のある人にとって、動画と写真は何が違うのかと話になり、先天盲の方が動画自体も見たことがないので、わからないし、単純に音声があるかどうかで、むしろ音だけでいいと言ってました。
視覚障害のある方にとって音声で説明を聞く、また凹凸の縮図、写真で触る、点字で本を読むという時、脳内で視覚野が働くので、私たちが写真を見ていることとほぼ同じことが行われていると今の段階では思っています。決定的瞬間の問題とは少し離れますが。。。

極論を言ってしまえば、言葉が写真(イメージ)なのだということになります。

清水さん:すべての画像が脳内のファントムであるとすると、やはり視覚障害者の方たちも見えてるよな~と思った次第です。晴眼者も見え方は様々ですしね。動画のことは、新しい視点でした。なるほど、見たことがない。ウーン、そうですよね、、

尾崎:けど結局のところ言葉によって脳内にファントムが出来る(写真・イメージが出来る)というのは私たち見えている人も同じように「見え方が変わる」という表現をしていることに思えます。

清水さん:言葉との関係もいつも考えさせられますが、今回は色々なお話を聞いて、ますますその思いを強くしました。

トークイベントでも少し話しましたし、写真をやっている方は言葉と写真の関係に敏感だと思いますが、視覚障害のある方の写真関していえば、言葉による説明がない、物質として存在しない(凹凸などで触ることができない)→脳内の視覚をつかさどる部分が全く働かない→「写真」は存在しないということに、極論的に言えばなってしまうのだとおもいます。
これからも細く長く続けていくので、皆様よろしくお願い致します。

飲み会でこんな難しい話をずっとしていたわけじゃなく、最近趣味のランニングの話で「サブ4はどうだ、フォアフット走はどうだ、LSDはどうだ」という話で盛り上がってました。
まだ参加されたことのない方はお気軽にご参加ください。
写真は今回午前中の写真教室で参加者の方が撮影されたベンチに写ったご自身の影の写真です。

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by daisukeozaki | 2018-11-18 08:01 | Comments(0)