コロナ禍において開催を中止しておりました、視覚障害者と一緒に楽しむ写真教室ですが、可能な限り感染予防対策を行いながら、10月にJR京浜東北線の王子駅近郊で開催させていただくことになりました。
今回は少し違った形で、可能な限りの感染予防対策を行なっての開催になりますが、ご興味・ご関心のある方は是非ご参加下さい。またそういった方をご存知の方はご紹介いただければ幸いです。
今回、いままで少し違う点ですが、凹凸の立体コピーは複数の人が触って楽しむということもあり、写真教室当日は作成しない予定です。また区の施設を借りるため、参加人数の制限、会議室内での飲食はできないため、各自昼食を取ってもらいます。
凹凸の代わりにあらかじめ、視覚障害者の方、また晴眼者の参加者は、自分の印象に残っている写真や思い出の写真、記憶に関して写真をあらかじめメールでお送りいただき、当日凹凸にして差し上げようと考えています。また当日はその写真をパソコンに写しつつ、お話をしていただきます。後日、了承を得た方に関してオンライン展覧会に使用させてもらう予定で考えています。その後、同じような形で撮影した写真の講評、説明などを行なってもらいます。
写真教室当日に撮影した写真は後日凹凸にして郵送させて頂きます。
また写真教室終了後、なかなかこういった機会もないので、コロナ状況においての視覚障害者の状況を皆さんで話してもらうような場も設けようと思っています。
社会的距離を保つことが推奨される現状ですが、それがそのまま視覚障害のある方にとっての孤独を生まないようにするためにも写真教室はこういった状況でも可能な限り続けていこうと思っています。
下記が詳細となりますので、何卒、よろしくお願い致します。
第18回 視覚障害者と一緒に楽しむ写真教室
御好評頂いている視覚障害者と一緒に楽しむ写真教室を10月に開催致します。視覚障害者 の方だけではなく、様々な方に参加していただきたいので一般の方も参加頂ける写真教室となっています。
健常者の方はアイマスクを着用し、仮想視覚障害者を 体験してもらいながら写真撮影などを行ってもらう予定です。(アイマスクはこちらから洗濯したものをお貸し出し致しますが、抵抗のある方はアイマスクや手拭いなどをご持参下さい。)
また、視覚障害者の方で触ることの出来る凹凸の立体写真にしてほしいという写真がありましたら、あらかじめメールなどでお送りいただき、写真教室当日に凹凸の立体写真にお渡しすることもやらせて頂きます。(1枚目無料、2枚目以降追加料金500円)世の中を様々な視点で 見ることがどれだけ興味深いことか体験できる1日になることを期待しています。参加者には当日撮影した写真の数枚を凹凸の立体写真にして差し上げます。ご 興味などございましたら、お気軽にご連絡下さい。
日時:10月17日(土) 10:00〜16:00 (雨天決行)
集合場所::JR京浜東北線、王子駅改札(北口)(エスカレーターのある一番大きな改札口、エスカレーターは改札の端にあります。)前に9:45集合。王子駅周辺(飛鳥山公園など)にて撮影後、講評会。
参加定員:最大20名(介助者の方は参加費不要ですが、感染予防の観点から会議室に入れる人数が限られています。つきまして、介助者も含めて最大20名とさせて頂きます。)
参加費:2000円(交通費、昼食代などは個人でご負担をお願い致します。介助者の方の参加費は無料です。)
募集締め切り:10月14日
講師:尾崎大輔(http://www.daisukeozaki.com/)
申込先:080-6507-7746(尾崎携帯) もしくは info@daisukeozaki.com
#7日間ブックカバーチャレンジ 最終日
最後の紹介は長文です。
村上春樹はたくさん読んでます。著者の本を一冊でも読んだことのある市民ランナーの方は全力でオススメします!!創作活動をされている方にもオススメ!!
最後の村上春樹の墓碑銘がかっこいい!!
・走ることについて語るときに僕の語ること 村上 春樹(著)
ランニングを始める理由は人それぞれだと思う。
私の場合は娘の病院に一緒に行った際、血圧が少し高めだったので、そのことをお医者さんに話した時からだ。
「少し痩せてみれば。」と言われ、食事を制限するのは性格的にも厳しいなぁと感じたので、だったら運動だ、それならどこでもできるランニングだと思いたったわけです。
それから約2年近く、週5日間くらい朝5時から10kmから12kmぐらいのランニングをしている。夜は家族サービスなどで家にいることも多く、朝は子供の登園、登校の準備などで7時には家にいないとダメなので、必然的に5時ぐらいから走り始め、7時には家に戻るスタイルしかできないわけだ。
大体、月間300km、朝のほとんど誰もいない荒川の河川敷をひたすら走る。
30kmなどのレースには出ていて、今年初めてフルマラソンにエントリーしたが、ご存知コロナのせいで、大会は中止になってしまった。1年半前からは補強として筋トレ必要だなと思い、ジムに通い始め、1年前からは格闘技関係のジムに移って今日に至っている。今はジムは休みなので、家で補強筋トレ中。
この本は小説家の村上春樹が自身の走ることについて語った本だ。
バーを経営していた著者がバーをやめ、専業小説家になった時から「毎朝10kmを走る」と決め、フルマラソン、ウルトラマラソン(100km走るマラソン)、トライアスロンなどに挑戦していった話や走ることと小説を書くことの関係性などについて語っている。
20年以上、私と同じように朝5時からレッチリなどのロックを聴きながら、10kmランニングを行っているそうだ。
私の場合もそうだが、ほとんど誰もいない朝の河川敷でもいつも数名の同じ人とすれ違う。
いつも坂を上がった付近で、追い抜く散歩をしているであろう女性の方。今の時期は寝巻きに軽く何かを羽織っていて、いつも追い抜かすだけなので、一度も顔を見たことがない。
折り返し地点から1キロぐらいしたところですれ違う、ダンディな初老の男性。朝イチなのにきちんと身なりを整え、大抵はガムを噛んでいる。すれ違うたびにお互い会釈をする関係が1年以上続いている。今だに会話をしたことはないなど。
以下、本の中の好きな部分の抜粋。
「僕はここで「さあ、みんなで毎日走って健康になりましょう」というような主張を繰り広げているわけではない。・・・・・だって「ランナーになってくれませんか」と誰かに頼まれて、道路を走り始めたわけではないのだ。誰かに「小説家になってください」と頼まれて、小説を書き始めたわけではないのと同じように。ある日突然、僕は好きで小説を書き始めた。そしてある日突然、好きで道路を走り始めた。何によらずただ好きなことを、自分のやりたいようにやって生きてきた。たとえ人に止められても、悪様に非難されても、自分のやり方を変更することはなかった。そんな人間が、いったい誰に向かって何を要求することができるだろう。」
「サマセット・モームは「どんな髭剃りにも哲学がある」と書いている。どんなにつまらないことでも、日々続けていれば、そこに何かしらの観照のようなものが生まれるということなのだろう。僕もモーム氏の説に心から賛同したい。・・・たとえば、走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまでも本人の裁量に委ねられていることである。この言葉は、マラソンという競技の一番大事な部分を簡潔に要約していると思う。」
「オリンピック・ランナーの瀬古利彦さんに一度インタビューをしたことがある。・・・その時に僕は「瀬古さんくらいのレベルのランナーでも、今日はなんか走りたくないな、いやだなあ、家でこのまま寝てたいなあ、と思うようなことってあるんですか?」と質問してみた。瀬古さんは文字通り目をむいた。そして<なんちゅう馬鹿な質問をするんだ>という声で「当たり前じゃないですか。そんなのしょっちゅうですよ!!」と言った。・・・僕は瀬古さんの口から、直接その答えを聞いてみたかったのだ。・・・・朝早く起きてランニング・シューズの紐を結ぶときに、彼が僕と同じような思いをしたことがあるのかどうかを。そして瀬古さんのそのときの答えは、僕を心底ほっとさせてくれた。ああ、やっぱりみんな同じなんだ、と。」
「・・・小説家という職業に(少なくとも僕にとってはということだけれど)勝ち負けはない。発売部数や、文学賞や、批評の良し悪しは達成のひとつの目安になるかもしれないが、本質的な問題とは言えない。書いたものが自分の設定した基準に到達できているかいないかというのが何よりも大事になってくるし、それは簡単に言い訳のきかないことだ。他人に対しては何とでも適当に説明できるだろう。しかし自分自身の心をごまかすことはできない。そういう意味では小説を書くことは、フル・マラソンを走るのに似ている。基本的なことを言えば、創作者にとって、そのモチベーションは自らの中に静かに確実に存在するものであって、外部にかたちや基準を求めるべきではない。」
「走っているときにどんなことを考えるのかと、しばしば質問される。・・・・僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。そのような空白の中にも、その時々の考えが自然に潜り込んでくる。当然のことだ。人間の心の中には真の空白など存在し得ないのだから。人間の精神は真空を抱え込めるほど強くないし、また一貫もしていない。とはいえ、走っている僕の精神の中に入り込んでくるそのような考え(想念)は、あくまでも空白の従属物に過ぎない。それは内容ではなく、空白性を軸として成り立っている考えなのだ。」
私は「空白」みたいなかっこいいことは言えないですが、よく人から「それだけストイックによく走れますね」と言われるのですが、なぜ走れるのかというと、誰からも何も期待されていない、必要とされていないからだと思う。
写真・仕事に関してはやはり他者との関係性が生まれ、そこには期待や責任が生じる。他の趣味である読書や映画もやはりどこかしら仕事に関わってきてしまう部分がある。
しかし、走ることは競技者でもない私は何の期待もされないし、責任も何もない。1キロ何分で走ろうが、ハーフマラソン、フル・マラソンを何時間で走ろうが、誰に何の影響もない。誰に必要ともされていない。
そこには私がいて、越えるべき目標は私だけである。
そこが私にとってのマラソンの魅力である。
この本の最後がすごくかっこよく、走ることのモチベーションが下がったときによく見ます。
以下も本の中から抜粋。
「もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。
村上春樹
作家(そしてランナー)
1949-20**
少なくとも最後まで歩かなかった
今のところ、それが僕の望んでいることだ。
・・・・そして、最後に、これまで世界中の路上ですれ違い、レースの中で抜いたり抜かれたりしてきたすべてランナーに、この本を捧げたい。もしあなた方がいなかったら、僕もたぶんこんなに走り続けられなかったはずだ。」
他の写真は私がいつもやっているランニングのデータや健康診断でどれだけ変わったかを載せておきます。
使っているのはGarmin 235です。
写真1 大体こんな感じで走っています。月間300km前後。アップジョグと最後のウォーキングも入れているので、大体この距離でこんな感じになります。自粛期間ではない時には木曜日の昼間に20〜30kmのロング走を入れることが多いです。自粛が延長されそうなので、子供のテレビがやっている日曜日の朝にロングを入れるようにしようと思います。
写真2 いつものランニングのラップはこんな感じです。これは今日のデータです。小雨ぐらいなら走ります。大体、4分20秒から30秒ぐらいの心地いいペースで走って、可能ならば、ビルトアップを目指し、最終的に目標のサブ3(フルマラソンのタイムが3時間を切ること。1キロ4分15秒で走り続ければできますが、難しいので、1キロ4分前後ぐらいで走れる感じになると達成が見えてきます。)ペースにします。
ただ、サブ3はいつかは達成したいぐらいに思っているので、第1目標の70歳過ぎてもフルマラソン完走ができるように日々自分の体と向き合って走るのを一番に考えています。
本当はポイント練習とかでインターバルとかもやりたいのですが、一人で朝、坂道ダッシュとかをしていると、心が折れてしまうので・・・・。
これ朝イチなので、昼間走ると同じ感じで走っているのか!!と思うぐらい10秒ぐらいタイムが早くなります。
写真3 私の主戦場としている、荒川の河川敷。自宅の位置がバレます(笑)。主に、赤羽こえて、板橋の方に行くか、逆に荒川を下って、北千住のほうに行くかのどちらかのコースです。 ロング走の時は荒川をくだり、小岩のほうの平井大橋を越えて、東大島あたりの大島小小松川公園あたりで折り返すと丁度30kmになります。板橋cityマラソンのコースと同じです。
写真4 人間ドックの結果。ランニングのおかげで、食事制限を全くせずに、ここ2年間で10キロ近く痩せました。体脂肪率はもう少し低いと思います。ただ、当初の目標の血圧を下げることができず、毎回、健康診断をすると、「適度な運動をして下さい」というアドバイスが書かれています。。。 これぐらいになると、カレーのルーや板チョコみたいに腹筋がバッキバキになります。
写真5 もしランニングにハマったら小出監督の本も一読の価値あり。小出監督の言うようにネガティブスプリット(後半どんどん走るペースを上げていく)で走れるようになってみたいです。
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